2016年11月30日

浜松市浜北区平口・休兵坂


これまで三方ヶ原の戦いの時に武田軍が三方原台地に上ったとされる欠下坂および大菩薩の坂と宇藤坂をご紹介してきました。

今回はもうひとつ上ったとの言い伝えが残る休兵坂をとりあげます。

浜松市浜北区平口・休兵坂

ここは記録にこそありませんが、武田の大軍が何隊かに分かれて軍を進め、そのうちのひとつがこの附近で兵を休めて涌き水で喉を潤してから、この坂を通って三方原台地に上った可能性があると考えられています。


さらに興味深いのは、武田軍が三方ヶ原の戦いに勝利した後、刑部で越年する前にこの辺りに陣を構えようとしたという記録があるようです。

「『武徳編年集成』巻之十三には…二十四日信玄遂ニ浜松ノ城ヲ攻ズシテ、平口村ヲ歴テ、引佐部刑部ニ赴キ、爰ニ越年ス。 とみえている。…平口は現在の浜北市平口。黄檗宗の不動寺のあるところ。三方原の東麓にあたるが、軍勢が通過しただけとすれば台地の上でよかったはずだが、宿陣を考えての行動であったとすれば、三方原と浜名平野とが接する場所で、飲料用の水が充分調達できるところでなくてはならなかったはずである。…こう考えると刑部に移動する前、武田勢が平口の辺りから新原にかけて駐留した可能性もあり、…」(『細江町史 通史編中』)

なぜこれから西へ向かうはずの武田軍が三方原東麓の平口に陣を構えようとしたのか理由は不明ですが、もしかしたら休兵坂という地名は、戦い終わった兵が休んだことに由来するのかもしれません。

平口や内野には武田軍の遺臣が土着したという家もいくつかありますので、いずれにしろ三方ヶ原の戦いとなんらか関係のある場所なのでしょう。







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