2016年09月30日
浜松市東区有玉西町・大菩薩の坂・宇藤坂
前回、三方ヶ原の戦いの時に武田軍が三方ヶ原台地に上ったと伝えられる欠下坂をご紹介しましたが、今回は同じく上ったとされる大菩薩の坂と宇藤坂を歩きます。
まず、遠鉄バスの城山バス停から南へ向うと、東名高速道路の高架の手前に何やら標識があります。
近づいてみると「欠下城跡」とあります。
この辺りに中世の城があったそうですが、あまり詳しい記録は残っていないようです。
城山という地名の由来はこれなんですね。
さらに南に進み、東名の高架をくぐると、大菩薩の坂が見えてきます。
浜松市のサイトの大菩薩坂によると、
「本坂通(ほんざかどうり)にかかる字藤坂(うとうざか)の北側にある、平野から三方原大地に上る勾配の強い坂道。元亀3年(1572)12月、武田信玄が大軍を率いて三方原合戦に臨んだとき、天竜川を渡河し平野を横切り、欠下城(かけしたじょう)跡南側の大菩薩坂を上り、大菩薩山に陣を構えたといわれています。」
とあります。
この坂を上り切った辺りが欠下平。
ここに俊光将軍社跡があります。
これは坂上田村麻呂の息子と伝えられる俊光将軍を祀った社の跡ですが、現在は有玉神社の隣に祀られています。
その先から下る道が本坂通、いわゆる姫街道の宇藤坂。
県道261号線との交差点から見ると、確かに旧道っぽい雰囲気が漂っています。
宇藤坂を下っていくと馬込川につきあたり、そこに「五枚橋跡」の標識がありました。
かつての姫街道にはここに橋が掛っていたそうです。
前回同様、三方原台地の縁にはいろんな歴史が残されていて興味が尽きません。
これからも探訪を続けたいと思います。