西尾市・正法寺古墳
愛知県の西尾市の国指定史跡、正法寺古墳に足を伸ばしてみました。
この古墳は全長94メートルと西三河最大の前方後円墳で、平成13-14年度の発掘調査によって、墳丘が三段の階段状に築かれ、斜面には葺石が施されていることが判明したそうです。
また南側のくびれ部には、祭壇として使用されたとみられる「島状遺構」も発見されています。
埋葬施設は未調査ですが、各段に立て並べられた円筒埴輪と、古墳の頂上に立てられていたとみられる家形、蓋(きぬがさ)形などの形象埴輪が出土しています。
古墳の築かれた時期は埴輪や墳丘形態の特徴から、古墳時代中期前葉(四世紀後半)と考えられています。
注目されるのはその立地です。
ここは矢作古川の河口に位置しており、三河湾が望めます。
現在でこそ海から1kmほど離れたところにありますが、築かれた当時は海に面していたようで、遠方から眺めると島のように見えます。
例によって下の地図の地形を✔していただくと、かつて海に面していただろうことがよくわかります。
ほぼ同時期には、伊勢地域に精巧な船形埴輪を出土した宝塚1号墳が築造されており、正法寺古墳の被葬者は三河湾と伊勢湾を結ぶ交通路を配下に置き、強大な勢力を有した豪族と考えられています。
正法寺古墳の東には乙川白山神社がありますが、ここは由緒板によると万治二年(1659)吉良若狭守義冬公(吉良上野介公父)により社殿再建されたようです。
正法寺古墳の墳丘がこの神社の本殿の後にあるのも気になります。
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