2014年04月29日

古墳と神社の関係(4)


さて私のもうひとつの疑問、古墳や神社が細長く突き出る丘陵の先端にあることが多いのはなぜかについて仮説を辿っていきたいと思います。

宮家準・著『修験道 その歴史と修行』、この本はそのタイトル通り修験道についてまとめたものですが、修験道の成立以前の古来の山岳信仰と神道について以下のような記述があります。

「周知のように弥生時代以降水田稲作を生業とした我が国では、里から望見され、水源をなす山岳は、稲作に必要な水を与えてくれる山の神のいる霊地とされた。」

山は神がいる場所と考えられていたということですね。

「さらに山麓に定住した日本人は、山岳を死後祖霊となった自分たちが住まう他界と考えもした。」

前回書いたように祖霊が住む場所とも考えられてたと…。
つまり古墳時代よりもさらに前の弥生時代の頃から、山は霊地または他界と考えられていたようです。

「そしてやがてこの祖霊は山の神と一体となり、子孫に豊穣をもたらし、さらに地域を守護する。そのために山の神は毎年春には山から里に降って田の神となってムラに留まり、農耕を守ったうえで、秋にはふたたび山に帰って山の神となると信じるようになった。そして山麓にこの神を迎える神社を建立した。神社では、その地域の支配者かその一族のものが神主になって、春には神を迎える春祭り、秋には新穀を神と共食して感謝する秋祭りを行なった。この神社祭祀を中心とした宗教が神道なのである。」

これを読んだ時、以前書いた内野神明宮と赤門上古墳の関係によくあてはまると思いました。

古墳と神社の関係(4)
内野神明宮と赤門上古墳の丘

内野神明宮は、赤門上古墳だけでなく現在は消滅してしまった権現平山、神明宮上、観音ツブラなどの台地上の古墳群に取り囲まれた場所にあります。
もしかしたら、かつてこの地は古代の人々にとって他界との境界だったのかもしれません。(つづく)



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