2016年04月30日
曽許乃御立神社
浜松市街から舘山寺街道を舘山寺方面に向かうと、フラワーパークの手前右側に鳥居だけが立っているのがいつも気になっていました。
調べてみたら曽許乃御立(そこのみたち)神社という式内社があるようなので立ち寄ってみました。
参道を進むと、もうひとつ鳥居がありその先は下り坂になっています。
下り切ったところには御手洗池(みたらしいけ)があります。
かつてはここで禊を行なってから参拝したのでしょうか。
御手洗池を過ぎると今度は男坂または女坂を上ります。
坂を上ると御神木の向うに社殿が現れます。なかなか趣きのある参道です。
由緒書によると、御祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)で、神護慶雲元年(767年)、常陸の国に御鎮座される鹿島神宮の大神様が大和国御蓋山(みかさやま)(現在の奈良県春日大社)に向かう途次、当地の根本山にてご休憩された際に近郷の住民がその御神徳を慕って社殿を建設し、御分霊をいただきお祀りしたことが創建の縁起とあります。
面白いのは、この社殿は今歩いてきた参道の方(つまり南)を向いておらず、西を向いています。
神社といえば南や東を向いているものが多いですが、西向きは珍しいので神職の方にお伺いしたところ、春日大社の方を向いているとのことでした。
確かにここからすぐ西に三方原台地を下ると、浜名湖の内浦(浜松市動物園の入口前)で、旅立つにあたって西方を遙拝するのに相応しい場所に思えます。
ただ、以前火穴古墳の時に、6・7世紀の三方原台地南方から浜名湖東岸の人達の墓域は根本山周辺に設定されていたという説があると書きましたが、曽許乃御立神社の由緒に根本山が出てくるということはここが他界(葬地)の入口だったということも考えられるかもしれません。
…と思いながら、ネットをながめていたら許乃御立神社の東方約1kmかつ根本山のほぼ真南に亀塚古墳という6世紀代の前方後円墳があることに気がつきました。
これはまた行ってみなければなりません。