2013年07月27日
二本ヶ谷積石塚群 静岡県史跡指定記念企画展(後編)
二本ヶ谷積石塚群の静岡県史跡指定記念企画展のご報告の後編です。
山ノ花遺跡について:
二本ヶ谷積石塚群の被葬者がどこに居住していたかはわかっていませんが、天竜川平野における5世紀代の拠点的集落である浜松市東区恒武町の恒武(つねたけ)遺跡群にある山ノ花遺跡では初期須恵器や大量の祭祀具などが出土しており、新来の技術を獲得するために渡来人を受け入れていた首長層が関係した集落と考えられているそうです。

山の花遺跡の出土品
二本ヶ谷積石塚群と恒武遺跡群は時期的・地理的に近く、また周辺に同時期に有力な集落は見つかっていないため、二本ヶ谷積石塚群の被葬者は、恒武遺跡群の集落に関係した渡来系集団である可能性もあるとのことでした。
渡来文化について:
5世紀代に渡来した人々が持ち込んだ技術として、機織・鍛冶・須恵器生産・馬匹生産・土木などがあげられます。
機織の技術自体は弥生時代から存在しますが、まだ織機は簡単な構造のものでした。古墳時代に地機(じばた)や高機(たかばた)と呼ばれるより複雑な織機が渡来し、それまでよりも幅広で長い布を織ることができるようになりました。山ノ花遺跡では機織具の部材と考えられるものが多く出土し、また糸を紡ぐ紡錘車も出土しているそうです。

鉄器は日本列島では弥生時代から存在しますが、5世紀代になると鉄素材とともに新たな鍛冶の技術が伝えられたと考えられています。恒武遺跡群でも5世紀に遡る可能性のある鞴(ふいご)の羽口(はぐち)と鉄滓(てっし)が出土しているそうです。
須恵器を生産する技術は西暦400年頃に伝えられたと考えられています。浜松市内では6世紀前葉に浜松市東区半田山の有玉古窯で須恵器が焼かれていたようです。

乗馬の風習が日本列島に伝えられたのも西暦400年頃で、5世紀には大阪府の河内地域や長野県、群馬県で渡来系集団の存在が想定されています。
浜松では6世紀前葉以降に金銅装の馬具が古墳の副葬品として出土しているそうです。

形象埴輪について:
今回の企画展で一番目立つのは形象埴輪のコーナーでしょう。
まず以前もご紹介した郷ヶ平3号墳から出土した馬と馬曳きです。この時代は百済が一時的に滅亡し、大量の亡命朝鮮系渡来人が馬とともに渡ってきたんでしたね。
しかし、この馬、何度見てもかわいいです。

もう一つは辺田平1号墳から出土した形象埴輪です。
辺田平1号墳は全長約20mの前方後円墳ですが、前回ご紹介した6世紀前葉に積石塚である14号墳が築かれる前の木棺直葬の盛土古墳ですから、まだ渡来系の影響を受けていない在地系の古墳になります。そのくびれ部の周溝から人物埴輪、鳥形埴輪、鹿形埴輪が出土しています。

鹿と狩人の埴輪は、森や稲作の精霊と結びつく霊獣である鹿を狙う行為が有力者のみに許された神聖な儀式であり、土地を治める正当性を表わしたものと考えられるとのことです。
かなり充実した内容で、個人的にはとても見応えがありました。
もし興味を持たれた方がいましたら、ぜひ一度企画展に足を運んでみてください。
■企画展
「浜松の渡来文化と埴輪群像~二本ヶ谷積石塚群とその時代~」
【会 期】 7月12日(金)~9月1日(日) 9:00~17:00
休館日 月曜日(7/15(月・祝)開館、翌7/16(火)休館)
【会 場】 市民ミュージアム浜北 歴史資料館 (浜北文化センター 2F)
浜松市浜北区貴布祢291-1 TEL 053-586-7310
【観覧料】 無料
【主 催】 浜松市
山ノ花遺跡について:
二本ヶ谷積石塚群の被葬者がどこに居住していたかはわかっていませんが、天竜川平野における5世紀代の拠点的集落である浜松市東区恒武町の恒武(つねたけ)遺跡群にある山ノ花遺跡では初期須恵器や大量の祭祀具などが出土しており、新来の技術を獲得するために渡来人を受け入れていた首長層が関係した集落と考えられているそうです。
二本ヶ谷積石塚群と恒武遺跡群は時期的・地理的に近く、また周辺に同時期に有力な集落は見つかっていないため、二本ヶ谷積石塚群の被葬者は、恒武遺跡群の集落に関係した渡来系集団である可能性もあるとのことでした。
渡来文化について:
5世紀代に渡来した人々が持ち込んだ技術として、機織・鍛冶・須恵器生産・馬匹生産・土木などがあげられます。
機織の技術自体は弥生時代から存在しますが、まだ織機は簡単な構造のものでした。古墳時代に地機(じばた)や高機(たかばた)と呼ばれるより複雑な織機が渡来し、それまでよりも幅広で長い布を織ることができるようになりました。山ノ花遺跡では機織具の部材と考えられるものが多く出土し、また糸を紡ぐ紡錘車も出土しているそうです。
鉄器は日本列島では弥生時代から存在しますが、5世紀代になると鉄素材とともに新たな鍛冶の技術が伝えられたと考えられています。恒武遺跡群でも5世紀に遡る可能性のある鞴(ふいご)の羽口(はぐち)と鉄滓(てっし)が出土しているそうです。
須恵器を生産する技術は西暦400年頃に伝えられたと考えられています。浜松市内では6世紀前葉に浜松市東区半田山の有玉古窯で須恵器が焼かれていたようです。
乗馬の風習が日本列島に伝えられたのも西暦400年頃で、5世紀には大阪府の河内地域や長野県、群馬県で渡来系集団の存在が想定されています。
浜松では6世紀前葉以降に金銅装の馬具が古墳の副葬品として出土しているそうです。
形象埴輪について:
今回の企画展で一番目立つのは形象埴輪のコーナーでしょう。
まず以前もご紹介した郷ヶ平3号墳から出土した馬と馬曳きです。この時代は百済が一時的に滅亡し、大量の亡命朝鮮系渡来人が馬とともに渡ってきたんでしたね。
しかし、この馬、何度見てもかわいいです。
もう一つは辺田平1号墳から出土した形象埴輪です。
辺田平1号墳は全長約20mの前方後円墳ですが、前回ご紹介した6世紀前葉に積石塚である14号墳が築かれる前の木棺直葬の盛土古墳ですから、まだ渡来系の影響を受けていない在地系の古墳になります。そのくびれ部の周溝から人物埴輪、鳥形埴輪、鹿形埴輪が出土しています。
鹿と狩人の埴輪は、森や稲作の精霊と結びつく霊獣である鹿を狙う行為が有力者のみに許された神聖な儀式であり、土地を治める正当性を表わしたものと考えられるとのことです。
かなり充実した内容で、個人的にはとても見応えがありました。
もし興味を持たれた方がいましたら、ぜひ一度企画展に足を運んでみてください。
■企画展
「浜松の渡来文化と埴輪群像~二本ヶ谷積石塚群とその時代~」
【会 期】 7月12日(金)~9月1日(日) 9:00~17:00
休館日 月曜日(7/15(月・祝)開館、翌7/16(火)休館)
【会 場】 市民ミュージアム浜北 歴史資料館 (浜北文化センター 2F)
浜松市浜北区貴布祢291-1 TEL 053-586-7310
【観覧料】 無料
【主 催】 浜松市