2015年04月10日
≪シンポジウム≫ 狐塚古墳と倭の五王の時代
3/28 浜松市文化財課主催のシンポジウム「狐塚古墳と倭の五王の時代」(@引佐健康文化センター)に参加しました。
狐塚古墳は浜松市北区細江町の浜名湖を望む丘陵地に5世紀前葉に築かれた古墳で、2011年に発掘調査をした結果、一辺22mの二段築成の方墳で葺石と埴輪をそなえることが判明したそうです。
また浜松市内で最古の埴輪が出土したり、副葬品として鉄製の短甲(よろい)が採集されています。
同時期の遠江地域には全長110mの前方後円墳である堂山古墳(磐田市)が存在し、その周囲にも方墳を陪冢(ばいちょう)として巡らしていることから、狐塚古墳の被葬者像については、地域の首長としての性格に加え、堂山古墳の築造主体を軍事面で補佐し、浜名湖を通じた海上交通網と浜名湖北岸の陸上交通網を掌握した人物が想定できるとのことでした。
また狐塚古墳には、近畿地方中枢部からの技術供与がうかがえる先進的な埴輪が導入されていることや、大和王権や地域の盟主的勢力との軍事的関係を示す鉄製甲冑が副葬されていることから、遠江の王にとって大事な存在であり、かつ大和政権にとっても重要な人物であったのではないかということです。
例えば朝鮮半島の動乱に際した出兵や東国支配の援助などの功績の可能性が指摘されていました。
同じ時代という切り口でこの地域の古墳を俯瞰してみると、当時の権力構造や社会情勢が浮かび上がってきて想像が膨らみます。
今後、別の時代についてもぜひ掘り下げてみたいなと思います。